K.com

K's diary, thought, and so on.

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三陸の景色

自然や景色にカメラを向けるのは苦手だ。
撮りたいのは人なのだな、と感じる。

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  1. 2010/04/30(金) 16:42:28|
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破壊と創造、そして愛

人生でずっと考え続けていくテーマがあるとしたら、
それは「破壊」「創造」「愛」だ。


世の中は思ったよりも破壊に溢れている。
人は簡単に人を殺すし、権利を奪う。
対象の領域をとことんまで破壊する衝動が人間にはあるのだろうか。
人を殺すための道具である、銃や刀に魅力を感じるのはなぜだろうか。
鉄の感触や、無骨な頑丈さ、破壊力に魅了される気持ちとは何なのだろう。
支配すること、優位に立つことは対象を破壊する権利を得ることだ。


反対に、創造的活動は魂に喜びをもたらす。
人はヤハウェの被造物として、その特性を受けついだと聖書は語る。
ヤハウェが世界を、人を創ったように、人もまた創造に惹かれるのか。
人生を歩いていくこともまた、大いなる創造か。
音楽はどこから来るのだろう。
芸術とは何だろう。
なぜこうも魂に語りかけてくるのだろう。


こういった矛盾した性質を持つ人間はまた、
外部の対象を自身と同一のものとみなすことが出来る。
愛の感情。


この3つの概念は、「死」という枠によって生じているのかもしれない。



人は不思議だ。

知るほどに悲しく、希望に満ちた存在だ。


  1. 2010/04/25(日) 00:39:41|
  2. 人生論
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雪山登山

岩手県と秋田県の境、八幡平アスピーテラインへ友人のTigerと一緒に遊びに行った。
つい数日前に開通した、雪の壁に挟まれた道路。
頂上の八幡平山頂付近は未だ吹雪が吹き荒れている。


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アスピーテラインの入り口には巨大な雪だるま。雪だるまというより鏡餅だ。

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なぜか成り行きで八幡平登山に。7mくらい雪が積もっているから木の頂上に登れる。

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これがアスピーテライン。どこまで行っても雪の壁。

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どんどん進んでいくと人工物が見えなくなる。トレッキングコースの目印だけを頼りに進む。

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これが、ところどころにあるコースの目印。周回コースだと思って歩いていたら山を越えてしまった。

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1時間半ほど歩いて山をひとつ越えたところで天然の硫黄温泉の源泉を発見。そこだけ雪が溶けている。

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最大で7m以上にもなる雪の壁。

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帰りは少しスノーボードをしてみた。...といっても板はスケボーのタイヤをはずしたもの。

  1. 2010/04/19(月) 04:32:02|
  2. Blog
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あなたの持っている自由

「あなたの持っている自由を持たない人のために用いてください」 by アウンサン・スーチー

ああ、これだ。
この言葉が喉にひっかかっていたんだ。

今の時代にここに生まれたからこそ出来ることがある。
自分だからこそ、出来ることがある。

生きていることそれ自体が可能性になる。

「ビルマVJ 消された革命」
5月15日公開のドキュメンタリー映画。
http://www.burmavj.jp/ 

  1. 2010/04/15(木) 19:20:00|
  2. 人生論
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資源の共有の可能性

太陽の黒点が減少期に突入したことによって、
ヨーロッパは毎年、いつもより寒い冬、"リトルアイスエイジ"を経験することになる----。
By BBC(Link)

太陽からの紫外線がジェット気流や成層圏の流れに影響を与えるためだという。

これから10数年~、黒点は減少期に入るという。
細かい説明は上記の記事を見てほしいが、地球の気候というものが
いかに複雑な要素で決定されるかがわかる。

僕は地球温暖化とその対策については...

・なんらかの原因で毎年の気温は上がっている。
・だがその原因はCO2だとは断定出来ない。(より多くの要素が絡み合っている)
・都市部の温暖化はまた全く違った現象。
・限られた地球のエネルギー資源をコントロールする思惑が働いている。
・地球規模の巨大産業にするためにCO2というわかり易い指標が用いられた。

...というものだと思っている。
が、その対策に反対なわけではない。

今行われている"クリーンエネルギーへの転換"というものは
「CO2の排出削減」という要素よりも、
「限られた資源に頼らないで人間の生活を営む」という転換の要素のほうが大きいと思う。
早かれ遅かれ、資源というものは枯渇するのだから、エネルギーの転換には賛成する。
(さらに重要なことだが、クリーンエネルギーと呼ばれるものはCO2を出さないだけでなく
排気ガスやエネルギー廃棄物を産まないという点でsustainabilityに貢献する)


現在の多くの政治問題はエネルギー問題に還元出来ると思う。

ここでいう「エネルギー」とは、
「人間が生きていくために消費していく資産」のことを指すとしよう。

水や食料、ガソリンや電気はもちろん、
衣類、自然資源、さらには生活するための土地も含む。

それらは全人類に平等に与えられるものではなく、
「機構」によって管理される。
「国」であったり、「経済機構」、「貿易協定」、様々だ。

だが、機構を管理出来る人間は限られている。
一部の権力のみがアクセス出来、決定権を持っている世界がある。

自由な株式市場では、財力が決定権と直接結びつく。
(ここでいう自由とは参入の自由であって、参画の自由ではない)

レッセフェールのような自由市場主義が、
未曾有の貧富の格差を生み出したのは最近のことだ。
(体面上はレッセフェールは禁止になったようだが、そんなことはない)


もの凄く単純に考えて...

・人類は増え続けている。

・生活のレベルは向上し、個人に必要なエネルギーも増え続けている。
(便宜的に向上という言葉を使う)

・地球上に存在するエネルギー資源は限られている。

...この3点から考えるだけでも、そこに争いの火種を見ることが出来る。


単純な解決策。

・人口を減らす。

・生活の質を落とす。
(人類の20%が地球上の80%のエネルギーを消費している)

・新たなエネルギー資源を獲得する。

...というものを考えることが出来る。


現在とられている政策は、
数%の人々の(とてつもなく贅沢な)生活を保護するため、多くの人を犠牲にする...
というもの。


別に善悪どうこうなんて言うつもりはさらさらないが、

こちら側(大量消費する側)にいるか、あちら側(極貧の生活を強いられる側)にいるかは、
単純に「いつ、どこに生まれたか」という不可避の条件に基づいている場合が多い。

これは克服不可能な幸、不幸なのか。

もし自分がそちら側に生まれていたら...
愛する人がそちら側にいたら...

(そちら側にいる人があなたの最も大切な人にならない保障はない)

人はそういったことを想像し、
共に喜ぶことも、共に悲しむことも出来る存在だと信じている。


・教育の向上による人口抑制。
・モラルに基づく国際法と、その実行力の整備。
・代替技術の開発。

...などが、未来を創っていくことにならないだろうか。

  1. 2010/04/15(木) 18:16:57|
  2. 資源・エネルギー
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クラスターの認識

クラスターの認識こそが人間の特性ではないかということについて。

Twitterで何気なく思ったことをつぶやいていたら思考がまとまってきた。
やはり考えは言葉というフィルターを通すことで論理的に再構築される。

一度外部に言葉として生成されたものを客観的に再度濾過することによって蒸留できるのだ。

さて、そんな中で考えたのが
クラスターという概念が人間の特性を表しているのではないかということについて。


まずはクラスターという言葉の定義から始める。

(チベット仏教は、まず第一に徹底的な論理学を身に着けることからはじまる)
(論理を積み上げていくToolを鍛えるのだ)
(チベット仏教についてはいずれじっくり書く)

ここでは一般的な意味でのクラスターという概念からは少しはずれるかもしれないから、
いちから考えていく。


一般的なクラスターという語の持つ意味。
---------------------------------------------
【英】Cluster
花・果実などの房、かたまり。
同種の動物・人・物などの群れ、一団。
原子・分子の集合。
データをひとつのかたまりとして扱う単位。
記憶装置における記憶単位。
---------------------------------------------


あなたという人間がいる。
あなたは家族の構成単位としてのクラスターに内包される。

同時に、あなたはある国の国民としてのクラスターに内包される。
同時に、あなたは性別的に男か女か、若しくはそれ以外の性というクラスターに内包される。
同時に、あなたはホモサピエンスとしての学名に内包され、哺乳類であり、生きている。

こういうふうに、大きな"容器"にどんどんと内包していくことが出来る。
反対に、小さな方向に(原子や分子レベルで)クラスターを認識していくことも出来る。


こういう分類は"名づけ"の行為によって行われる。

ある一団の類似する特徴を認識し、分類する。
どの特徴を認識するかによって、それらの持つクラスターの階層は変わってくる。

目の前の机が、単に木材の集合体ではなく机であるのは、こうした意識の働きによる。


...ということで、ここでいうクラスターの意味とは
「客体を認識し、名づける」行為のことになる。

客体の適用範囲はクラスターの基準に依る。


ここで強調したいのは、クラスター構造は
決して「ものごとの事実」により決定されるわけではないということだ。
(それはこの空間的、時間的宇宙の次元には"存在"しないんだ!!)

その存在の在るがままを人間は決して捉えることは出来ない。
(ナーガールジュナの思想では仏教的悟りがそういう境地を指しているようだが)

主体に映りこんだ世界の断片を投影し、客体を存在として浮かび上がらせるのだ。

(旧約聖書の創世記はその物語に思える)

うん..どうしても詩的な表現に陥ってしまうな。
もっと論理的に突き詰めれる事柄なのだけれど...。

ノーム・チョムスキーの生成文法理論に見られる"チョムスキー階層"を勉強したい。
きっと通じるものがある。

形式言語の階層が、心の階層=世界の階層を示すことにはならないか。


こういったことを考えることに何の意味があるというのか。

それに対する明確な答えはない。

...が、そこに着目することは愛を考えることだと思っている。
もちろん、愛を考えることと実践することは全く違う。

論理など捨て去って、愛を実践していければそれは素晴らしいことだ。

それでも、全てを「理解したい」という欲求からは自由になれない。

そこに言葉は届かないかもしれない。
いや、すでに言葉の持つ表象能力の限界は人間の次元に対する知覚能力に縛られている。

だからこそ物語が必要で、人生は流れていくのだと思う。

この世界に在れることに感謝。

  1. 2010/04/07(水) 19:56:39|
  2. 認知、哲学
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僕が人を殺している

フリージャーナリスト、常岡さんの安否が気遣われる。
アフガニスタンの現状を伝えようとする人が拘束されるというのは人事ではない。

思えば、9.11のあの日から、この不快感は続いている。

「僕が人を殺している」という不快感だ。

この定義を誰かに押し付けるつもりは全く無いが、
僕は、「為すべき何かをしないことによって」、誰かを殺している、
そんな不快感に包まれるときがある。

9.11の時は高校3年生だった。
(中卒後すぐには進学しなかったため、1年遅れの高3だが)

大学に行くつもりはなかった。

アフガニスタンに行くつもりだった。

よくわからない、この自分の命というものが
そこの誰かの代わりになるのなら悪くないな、と思っていた。

行って、状況を改善したいわけじゃなかった。

ただ、何が起こっているのか知りたかったし、
報道が言ってることは偏りすぎていた。

報復という名目で人が(しかも一般人が)殺されている。

すぐさま支持を表明する日本。
狂ってると思った。

その後に続いたイラク戦争。
世の中の正義はくそだと知った。


よく考えてみれば、戦争で人が死ぬのは当然のことだし、
人類は数千年もかけて殺戮を繰り返してきた。

中には侵略戦争も、報復戦争もあっただろう。
(アテネやスパルタの戦を思い返してみればいい)

国のイデオロギーというものに個人が埋没して、
戦に向かっていくことも珍しいことではない。

アメリカでは南北戦争でも、南北合わせて100万人の人が死んでいる。
奴隷解放のイデオロギーに乗った利権の争いだ。

先住民は近代文明人(と名乗る人々)に殺戮されてきた。


数え上げれば、きりがない。

ただ、歴史がそうであったからといって、戦争を肯定するわけにはいかない。
ただ、そこに生まれたというだけで、殺されていく人がいることを忘れてはいけない。



飢餓は史上最大のホロコーストだ。

穀物の値段は先物取引におけるメジャーの意思次第でどうにでもなる。
意図的にだぶつかせる(市場に出さない)ことによって、値段を跳ね上げることも出来る。

先進国の人間にとって、食料が収入に占める割合は多くても30%を越えないだろう。
貧困国の底辺の住民は、収入の90%を食料に費やす人もいる。

穀物が20%値上がりすれば、それは飢餓に直結するのだ。


通貨危機というものもまた、利己的な欲を追求した殺人だ。
アジア通貨危機では、特定の通貨(例えばバーツ)が単なる投機の対象になった。

資本主義というものがルールとして存在する以上、
通貨は生活に直結した要素であることは明白であるにも関わらずだ。


ランセットという医学雑誌に投稿されたレポートでは、
イラク戦争(侵略"Invasion"という語を使う新聞も多い、日本ではイラク"戦争"だが.. )による
公衆衛生の悪化によって、60万人以上の人が亡くなっているということが報告された。

全ての死は、個々の死であり、死者数を数字に置き換えることに大きな意味は無いが、
WTCの崩壊による死者は3千人程度である。

大量破壊兵器という大儀が破れ、
フセインの恐怖政治の打倒という名目に変わり、
世界最高の政治形態である民主主義の繁栄という目的に変わった。
(王政を敷くアラブの国は数多いが、それはあまり気にならないらしい)

(他にも理不尽な殺戮を知りたかったらコンゴなどに目を向けてみればいい)


どんなに言葉を変えようとも、兵器を変えようとも、
そこで行われているのは殺人だ。

そこから目を反らしてはいけない。

それを殺人と認めたうえで、なお、成就したいものがあるというのなら、
そういうものをきちんと表明しなければいけない。

そこを見て見ぬふりして、都合のいい部分だけをTVに映して喜んでいてはいけない。

国家の問題じゃない。
個人の問題だ。


これは押し付けではないし、
こういった問題の他にも、直視すべき様々な問題があることもわかる。

大切なのは、全てをなんとかしようと思うことではなくて、
(その想いは持ち続けたほうがいいと思うけれど)
自分がどう感じ、どう思い、どうしたいかだ。

オレは"たまたま"、紛争に関することが不快でたまらない。

"ふとした瞬間"に目の前の現実が溶けていきそうになる。
自分はここで何をしているんだろうって。

気持ちのいい朝のコーヒーの香りの代わりに、
血の匂いに包まれた人たちがいるということを思うと、吐き気がする。

もちろん、常にそういう状態じゃないし、
そういうことすらも忘れて何も考えていないときもある。

それでも、瞬間的に襲い掛かる不安感は拭えない。


以前はこうして無駄(に思えた)な不快感を感じる自分がひどく惨めに思えた。
今では、こういう感覚を感じれるのは自分の才能だと思うことにしている。

不安感は怒りとなって、原動力になっている。

怒りが原動力だなんて、ネガティブに思われるかもしれない。
でも、そこに怒りを感じれるのは、希望があるから。

人間という存在を、好きだからだと思う。

愛する人の生きている世界だからこそ、どうしようもなく、憎くもなるんだ。

「世界はこんなに素晴らしい!」って叫びたいんだ。


愛するひと全てが幸福に生きていけるように、
自分の出来ることを最大限にやる。


  1. 2010/04/07(水) 01:30:54|
  2. 時事
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旅人

哲学は好きだが、歴代の哲学者の考えを代弁することは出来ない。
彼には彼の哲学があり、その言葉には、その言葉の発せられた世界があるからだ。

仏陀の残した空や中道の概念をあれこれ解釈することに意味はない。
納得のいく解釈のたどり着くところ、それはあなたの観念なのだから。

何かを「理解した」つもりになってはいけない。

それはあなたの世界の言葉なのだ。
あなたは世界を記述出来ると思うかもしれないが、
それはあなたの言葉によって紡ぎだされたあなたの世界なのだ。

キルケゴールが何を意図して言ったのかは知らないが、
「人にはそれぞれの真理がある」という言葉には心を惹かれた。

真理とは(個人に対しても)絶対的な答えではない。

その命と、魂を前に進めるための拠り所となる力のことだ。
個人的な宗教であり、芸術であり、
自分をこの世界に関連付ける論理なのだ。
(論理というものが語りえない世界を持つということには
ウィトゲンシュタインの言葉を借りよう)

根を張ることで、不動の安心を求める行為。
それはマジョリティの支えられた世界に安穏とする虚構になり得る。

根を蝕むものを、排除したがる。

目を瞑り、崖の前に佇むことになる。


風に乗ろうと思ったら、根は切り離さなければいけない。
風雨に晒されたら、晒されただけ、転がっていけばいい。

人は、与えられたものに意味を見出すことが出来る。
空間と、時間と、意思の成り立つこの瞬間に、意味を見出すことが出来る。



結局人は旅人なんだ。

身軽なほうがいい。


  1. 2010/04/06(火) 23:27:50|
  2. 人生論
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弟の命日 -死を考える-

今日は弟の命日だった。
家族で墓参り。

弟が死んだとき、僕は小学2年生だった。
小学校にあがる前に小児ガンで亡くなった弟。
そんな彼の墓に訪れるのも久しぶりのことだった。

僕には弟の死よりも、てんやわんやな家の中のことのほうが大変なことに思えた。
死というものを、未だきちんと理解していなかったのかもしれない。


弟の死を見つめなおすきっかけになったのは、姉の死だった。


飛び降り自殺だった。
病院の裏手で、瀕死の重傷で放置されていた。

一度意識が戻り、一瞬だけれど目があった。
その瞬間に凝縮されていた想いは、重すぎてなかなか受け入れられなかった。


死というものを、本気で考え始めた。


僕が17歳の時に姉が亡くなって以来、
家族の墓や仏壇に線香をあげたことは無かった。
(ちなみに姉はクリスチャンだった)

全く持って無意味に思えたし、
坊主が嫌いだった。

大層なことを並べたてて、人の領域にズカズカ入ってくる坊さんが
本当に嫌いだったのだ。

「灰の中のお線香の残りかすをきちんと片付けておかないと、
亡くなった方はきちんと成仏できませんよ」

目の前の坊主は本物のバカに思えた。
思いっきり首を絞めてやろうと思った。

それ以来、いわゆる"坊さん"は信用しなくなった。



姉の死から数日、某有名仏教系宗教団体がうちに来た。

「家族の不幸は信仰がないからですよ」

台所でその言葉を聞いていた僕は、渾身の力で冷蔵庫を殴り、
その男の前に出て行って「帰れ」と告げた。

本当にその信仰でその男が生き残れるかどうか、
試しにボコボコししてやろうかと思った。



悲しみのあまりに泥酔した父に殴られて、殴り返した。
親に手をあげた自分が惨めに思えて、雪の降る夜の町へ出て行った。

深夜のことだった。
しんしんと降る雪。

ところどころ街灯に照らされた雪景色が、孤独を強調する。

大きな公園へ着いた。

大の字に倒れて、空を見上げた。
漆黒の空から、延々と白い雪が降り続けていた。

このままここで眠ったら死ぬんだろうな、と思った。

結局、死ぬのはやめて家に帰った。
単純に、これ以上家族が悲しみに包まれるのは嫌だったから。


大学に入っても死について考え続けた。

自分が傷つくのが嫌で、
全てをさらけ出して素直に友人と付き合うことは出来なかった。

どこかに答えが書いてあるんじゃないかと、必死に本を読んだ。
仏陀もキリストもジョン・レノンもマルクスも、答えなんて書いて(歌って)なかった。
でも、この問いを放棄する方法ならいくらでも見つかった。

「それはまた明日考えることにして、今日は今日を楽しみましょう」
「神ってひとがいてね、そいつが言ってることをとりあえず答えにすればいいよ」
「とりあえず、きちんと金を稼ぐことのほうが大事だよ」


カラッポなまま生きていた。


どれだけ他を充実させても、そこが抜けていたらカラッポなんだ。

生きている意味を知りたかった。
だからまず、自分の生きている世界を知ろうと思った。

その後訪れた国は20数カ国。

色々な価値観に触れた。

インドでは死はすぐ傍らにあった。
ザンビアではマラリアやエイズで、簡単に人が死んでいった。
中米で見た紛争の傷跡は死の恐怖を感じさせた。


ある時、ひとはひとりで生きているのではないということが、痛烈にわかった。

愛する人がいるという奇跡に涙した。

世界は悲しみだけで出来ているわけじゃないということを、理解した。

たったひと粒の君の涙、ほんの束の間の君の笑顔が、
こんなにも生きる意味というものを与えてくれるのだと、知った。


死への恐怖が和らいだ。

死が怖かったのは、生きる意味がわからなかったからなんだね。
それをわからないままに死ぬなんて、そんなのは嫌だ!
...とアンパンマンも言っているじゃないか。


風を感じた。


風はずっと、吹いていたのだ。
その風は、ずっと僕を支えていた。

無理に逆らい、逆風の中を、それと知らずに歩いていたんだね。

その風に乗るために、もっともっと心を軽くしていこう。

このまま飛んでいける。
そうか、死とはこの風の舞い上がった先なのだ。


まだまだ重く、色々な蔦の絡まった身だけれど、
今日は素直に弟と姉のことを想えた。

君たちからもらったこの大切な宝は、ずっとずっと大切にしていくよ。


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祖父の眠る墓石の横に佇む弟の墓。

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佐藤家の家紋。国連のオリーブみたいだ。

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ここは"墓の墓"。誰も見舞わなくなった墓石や石像が積んである。静かな音が聞こえる。
  1. 2010/04/04(日) 22:50:21|
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新宿の夜

東京でキホとリサと夕食。
いつも関西にいる友人らと東京で出会うのはなんだか不思議な感じだ。


リサと話していると、その奥に眠る熱い想いを、もっともっと聞いてみたくなる。
初めて会った時は、こんなに頻繁に会うようになるなんて思っていなかったけれど
今では応援したい大切な友人だ。

いつも語ったあとに、ああ、もっと話せたなあと思ってしまう。
だからまた、すぐに会いたくなるんだね。

リサはマラソンを通じて、カンボジアの地雷除去活動を支援しようとしている。
既にフットサルを通じた活動では成果を上げている。

確実に前に進んでいく彼女が、時々ちょっぴり羨ましい。
自分の道を、全力で生きていこうって、自分を戒める糧になる。


キホはもはや変態だ。
失礼。
いや、しかし本当に。

在日として、自身がマイノリティとして生きてきた。
そんなキホだからこそ、描き出せる人生がある。

何を聞いても誠実に答えてくれる彼に、僕はいつも遠慮なく言葉を続けられる。

将来「国境無き医師団」で活動したいという彼。
いつかアフリカの僻地で偶然の再会というものをしてみたい。

もっともっと、と思わせられる。
もっと、言葉を交わしたい、酒を酌み交わしたい、ってね。

さて、今度はハイデガーでも語りましょうか。


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おいしい食事に楽しい会話。乾杯のビールがうまい。

h01
東京でも忙しくしているリサ。もうちょっとのんびり語りたいな。

h03
キホと新宿の隠れ家的Barで。なぜかハードロックの話題で盛り上がる。

  1. 2010/04/04(日) 20:33:29|
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東京談家

ユメブレスト in Tokyo 「東京談家」に参加してきた。

「ユメブレスト」とは友人の運営するプロジェクト、「Dream×Possibility」のイベントだ。

年齢性別、学生でも社会人でも関係なく、色々なひとに「自分の夢」を語る場を持とうという、
そういうチャンスを提供していく活動だ。

主に関西で活動していくようだが、東京では「東京談家」として、
東京支部のような形で展開していくらしい。
今回は東京談家の主催者、堤賢太郎の家で皆集まる。

月に一回、こうやって集まって、本気で夢を実現しようとしている人に触れることで、
自分自身の錆を落とすことになり、自らも自身の夢に向かって進んでいける。

今回集まったのは17、18歳が多かったなあ。

現役高校生や、大学の新一回生のひとたちの語ることを聞いていると、
しっかりしているものだなあと関心させられる。

みんな、自分の人生を真摯に生きようと頑張っている。

僕は年長組ではあったけれど、彼ら、彼女らから学んだことは多い。

日本に帰国してから、本当に多くのひとに会っているが、
しっかりと前を見据えて進んでいこうとしている若いひとたちに刺激される。

その一方で、日本の社会というものがどんどんと重圧を増しているのも感じる。

失敗を許さず、再出発の機会の与えられにくい社会。
リスクというものを常に天秤にかけながら進んでいかなければいけない風潮。

僕はそのリスクという言葉に違和感を覚える。

リスクってなんだ?

それは人生を成功者、失敗者という枠で捉えて、
その成功者の条件を満たすように必死に自分を合わせていくこと、
そういう方法論から外れてしまう危惧のことだろうか?

そもそもリスクというものを人は予測出来るのだろうか?

リスクを想定することで、何かを行動しないこと。
それは"行動しない"というリスクを負うことにならないのだろうか?

ここでいう行動とは、
単にアウトプットだけではなくインプットのことも意味する。

何をしていても時計の針は動いていく。

自分にとって確実なのは、人生が有限であるということ。
だからこそ、そこに意味を求めていて、必死であるということ。

いつも、心の底から笑っていられるように。心の底から泣けるように。
君のそばにいられるように。

素のままの自分で在れるように。


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エネルギーに溢れていた。自分の心も充電してもらう。

g03
My face My style」代表の外川浩子さん。
言葉に力のあるかただった。また会いにいこう。

g02
バングラデシュ人のハッサン。彼の言葉に、大変勇気づけられた。
これだけ機会に囲まれていることの意味を想う。

g01
のりはこの夜のために夕方、大阪から新幹線で参戦。
次の日の早朝に18切符で帰って行った。

  1. 2010/04/04(日) 19:57:16|
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送迎会

3月27日、雪の降る岩手でのToeflを終えてすぐに東京へ向かった。
USAのNGOで同僚だった友人の送迎パーティのためだ。

個別には会ったことがあっても、こんなにメンバーが揃うのは久しぶり。
中には日本で始めて会った友人も。

みな、人生の一時期に、USAとアフリカで過ごすことを選んだ仲間。
それぞれの想いを抱えて、今、日本で生きている。

苦しかったUSでの募金活動。
アフリカに着いたと思ったら、思い知らされる組織の脆弱さ。

みんな、同じような経験をしてきたからこそ、語れることがある。

このメンバーはまるで家族のよう。
実際に、時期は違っていても、同じ屋根の下で共同生活をしてきた仲だ。

他の友人達とは雰囲気が違う。

パーティスペース(?)を借り切って朝まで騒ぐ。
最後はみんなでテーブルの下で雑魚寝をした。

USでの日々を思い出した。

色々な価値観を持った人間が、ひとつの空間で24時間一緒に過ごした。
ほんのわずかしか一緒にいなかった人も、
まるで何年も付き合っている友人のように感じる。

今後も語っていけるよう、彼ら、彼女らの輝きに負けずに、
毎日を大切に生きていきたい。

来年、西海岸で全員集合かな?


f01
アットホームな場所を借り切って楽しく過ごす。

f08
晴れてサントスとなったカズミ。サプライズパーティにびっくりしたかな?

f04
サプライズを企画したヒロコ。USでもよく話した。この春からは白衣の天使だ。

f06
日本で始めて再会したタイキ。最後に会ったのはザンビアでだったね。

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リョウ。最近よく会います。もっと語りましょう、飲みましょう。

f03
アクティブっ子リエ。最近深く語る仲になってきたね。またすぐ語りに行きますよ。

f05
ダイスケは兄貴分。なんだか深いものを持っていて、惹かれます。酒奢ってください。

f07
シンヤ。バカなほど楽天的なところに共感する。いつも笑顔やね、君は。

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サキコは最近世界中を飛び回っていたけど、ソーシャルワーカーとしての生活が始まるんだね。

  1. 2010/04/04(日) 19:11:48|
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久々に

さて、10日ほどblogも書かずに過ごしていたな。
東京で多くの人に会い、その後両親の家でのんびりと過ごしていた。

東京でのことはまた明日にでも書くとしよう。
撮った写真も沢山あるから整理してみないと。


世間は4月だね。
いや、僕にとっても4月なのだが。

みな、色々な方向へ、それぞれの道へ進んでいる。
どの道にも困難があり、喜びがあり、夢がある。

僕の足はきちんと大地に触れているだろうか。

自分をみつめることは、特別なことじゃない。
日々、新しい命を生きているつもりで、自らを学ぼう。


1年前の今頃は、東京でザンビアプロジェクトの準備をしてたな。

2年前は?
ああ、まだザンビアにいたな。
4月終りから、ジンバブエやマラウィを旅したんだ。

3年前。
USAのNGOでの研修。
その少し前に、始めてアフリカを、ケニアとタンザニアを訪れた。

このあたりから、全く未知の世界に飛び込んだんだ。
英語も大してしゃべれないのに、よく飛び込んだもんだな。
ザンビアなんて、場所どころか名前も知らなかった。

インドを訪れたのはもう5年も昔になるだろうか。


僕はいつから僕なのだろう。

僕は明日も僕なのだろうか。


ただ、流れ行く世界の中で、
風の吹くままに、心地よい音色の導くままに、ね。


歎異抄を読んだ。

以前、読んだことがあったが、やはり書物は変わっていく。
自分自身が変わっていくのだから、当然か。

親鸞は、言った。

「世の中、何が善で何が悪なのかなんて、わからん」
「ただ、念仏のみが光なのだ」

...とね。

浄土という死後に仮の答えを置く、二元論のまやかしの宗教だと、
10代の頃に歎異抄を読んだ頃はそう思ったものだった。


10年経って読んでみると、妙に心に染みるものがあった。

風は、吹いている。

うまい言葉は見つからないが、風は、そこに、吹いているのだ。




哲学と宗教の間に揺れる。

僕の思う宗教とは、生きる意味を、最後の最後まで問い続ける姿勢のことだ。
そこに絶対者はいない。

僕の思う哲学とは、この世界を、最後の最後まで疑い、言葉で記述することだ。
そこに情緒はない。


芸術とは?

魂の喜び。



ただ、愛をね、実践していければ、素晴らしいよね。

  1. 2010/04/03(土) 23:37:04|
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