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K's diary, thought, and so on.

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或る高校生との対話

友人の高校生、元気娘えまと7時間超のチャットをした。

朝方にはのりを無理矢理巻き込んで怒られたりもしたが、面白かった。
(のりには迷惑以外の何者でもないがw)

まあ、バカな話も沢山したが、
中には実の在る話も多々あったので、考えたことを記録しておく。
※話した内容以外に、思い返して浮かんだことなども付記。


●リベリアの話
リベリアはアフリカ西海岸にある小さな国で、
アメリカの黒人解放奴隷が、
白人有志によって「故郷に送り返してやる」との目的で作られた国だ。
似たような国に、イギリスが1787年に建国したシエラ・レオネがある。
リベリアはかつてはファイアストンとの癒着によるゴム産業、
その後は鉄が最大の輸出品目になった。
実はリベリアと日本にはある経済的な繋がりがある。
それが「便宜置籍船」制度だ。
これはリベリア国籍を持つ船舶に関する諸所の税や制度を優遇することで、
外国資本がその船を買い取って操業することがメリットになる制度である。
こういったリベリアに国籍を置く船の中では、船内にリベリア以外の法律は適用されないため、
労働基準法や安全基準を守る必要がなく、
外国人の船員などを劣悪な条件で働かせることができるという状況が生まれている。
(国際航路の日本の船の大半が、こういった便宜置籍船だという話もある)


●本など
えまがファンタジーの本をよく読むとのことで、
ミヒャエル・エンデの「モモ」「果てしの無い物語」、
ル・グウィンの「ゲド戦記」の話などに及ぶ。
オレの中の三大物語作家は、
ミヒャエル・エンデ(上述の本など)
リチャード・バック(カモメのジョナサン、イリュージョンなど)
サン・テグジュペリ(星の王子さま、人間の土地など)


●日本人の安全感覚
ワールドカップ開催地の南アフリカで、
果たして危機感の薄い日本人サポーターたちは大丈夫なんだろうかという話。
ヨハネスブルグの街中は本当に危ないときく。
被害にあった知り合いもひとりはふたりではない。
パック旅行の日本人の乗ったバスでも襲えば一攫千金なわけだし、
強盗にとってこれほど楽なターゲットはいないのではないかという不謹慎な話。
いや、でもまあ、本当に、何事もないといいのだけれど。
この開催のせいで、アフリカ=危険という一面的なレッテルがつきそうで怖い。


●沖縄、普天間基地問題
えまが授業で基地問題に関してエッセイを書いたらしい。
こういう実用的なことを考えさせられる授業があるなんて、
面白い高校だなと思う。
えまは基地の移転後の沖縄でのその後の過疎化や雇用問題に言及。
オレはそもそもの日米安保や自衛隊の問題をきちんと
再考しない限り、基地問題は永遠に「ばば抜き」のような状態だと思う。
まだ勉強不足できちんとした自分の意見を持っていない。
もっと勉強しよう。


●ノモンハン731部隊
そんな言葉が高校生から出てくるとは思ってなかったので驚いた。
本当によく、色々なことを勉強してるなあ!
ノモンハン731部隊は正式名称、大日本帝国陸軍関東軍防疫給水部。
生物兵器の実験、開発、人体実験を行っていたとされる秘密機関だ。
遠藤周作の「海と毒薬」を思い出した。
戦争捕虜を人体実験に使用していたことで非難を浴びるが、
GHQとの取引(実験データをUSに受け渡す)によって国際裁判上は不問とされた。
東京裁判においても、この事件については一切触れられていない。


●肉体的生死と精神的生死
えてして精神的な生を追求していく結果、非業の死を遂げる人は多い。
時の権力者や社会的倫理に逆らって、人知れず凄惨な最後を迎えることもある。
自分が世界に伝えたいことがあるといって、報道に命を賭けるジャーナリストがいる。
武装勢力につかまり、見せしめとして拷問のあげく殺されることもある。
そうした危険をおかしてまで人を突き動かすものはなにか。
それは精神的な死のほうが、肉体的な死よりも我慢ならないということではないか。
肉体も知覚であり、物質的な事象も知覚とするなら、
人はまさしく精神的な生き物である。
その存在意義を貫くことが、ひとつの生きる形を作っていくのではないか。
(というKの偏見による人生観)


●外部と内部の問題
恋というのが、自己の外部にあるものを希求する衝動だとして、
愛は既に自分の内部にその対象が取り込まれているのではないかという問題。
人が内部と外部に世界を分けていると仮定すると、
最もわかり易い外部との枠は肉体的境界線である。
そういう枠は、順次、家族や友人、民族、国家、宗教的観念などと広がっていく。
もし、愛というものが、こういった枠の内部を拡張する行為だとすると、
限りなく大きくしていくことで、ほとんどのものを内部に取り込める、
(自己と同一視する)ことが出来る。が、その方向性に進む愛というものは、
どこまでいっても「外部」の存在を肯定することになる。
結局愛というものが量的な問題なもので、質的なものにならないのではないかという疑問。
そこで、世に言う聖人たち、キリストや仏陀の考えや梵我一如、ブラフマンの思想を
(個人的見解によって)読み解くと、
愛というものは、そもその、「その枠自体を取っ払う」行為ではないかと思えてくる。
相手がどこに「属するか」、どういう「レッテル」を持っているか、
そういうこと全てが「気にならない」、「問題にも登らない」状態、
そういう状態で目の前の人、ものと接する行為、それが愛になり得るのではないか。
(...という仮定)


●言葉の持つ力
言葉というのは奥に秘めた思考を掬う曖昧なザルに過ぎないという思い。
そもそも、その言葉が確実に自分の表したいものを表せると思ったところで
相手に全くぶれのない共通認識がない限り、そこには絶対に差異がある。
自分の見ている「赤」が、あなたには「青」に見えているのではないかという疑問。
言霊の問題。
言葉というものは「意味」を持っているということで、
相手の心、状態に直接作用出来る力を持つ。
現在は多くの情報、言葉に溢れ、個々の言葉の持つ力は薄まっているが、
その昔、言葉というものが、より希少で神聖さに満ちていたとき、
その言葉の持つ力はまさに「魔法の呪文」そのものだったのではないか。
考えてみれば真言なんかも呪文の一種か。
日本人に馴染みの深い「南無妙法蓮華経」や「南無阿弥陀仏」もまた、
特殊な意味を内包し、精神に語りかける呪文だ。


●価値観の相違
「えまはドラえもんの映画の漫画が大好きであった。
全種類を揃えることは適わなかったが、結構な数を揃えていた。
その中にアラビアンナイトの話があった。
その中に、「神のために」と叫んで戦争をする人がいる、とあった。
そんな人がいるのか、と思った。
それからしばらくして9.11」...というえまの語りだしで始まった。
中東のこどもが「神のために死ぬのは当然のことだよ」と語る。
自分もそこに生まれていたらそうなっていたのかもしれない。
自分の価値観とはいったい、なんなのだろう?
「価値観とは、生まれてから身に着けた偏見のコレクションである」by アインシュタイン
そうだと思う。
全ての価値観は偏見と呼べる。
「絶対に正しい」...は無い。
そこを認め合わなければ、価値観の違うもの同士はどこまでいっても交われない。
色々な価値観があるということ認識するためにも、「知る」ということが大事になる。


●人種観
人種間の壁とは何なのか。
日本は「単一人種国家」というふうに言われるが、
そういう背景もあって、人種的東洋人以外の人種に対する免疫が薄い。
幸い、オレはここ数年の海外生活のおかげで、色々な人種に対する
距離感というものがほとんど無くなった。...というか気にしなくなった。
目の前にいる人はその人であり、人種や価値観、宗教などはその人の持つ
パーソナリティに過ぎないのではないかという考え。
それはやはり、経験によって実際にわかり会える友達が出来るということが
あって初めてわかることなのかもしれない。
思い返せば、オレも子供の頃は金髪青眼の人種は、映画の中にだけ存在する
遠い存在として見ていたように思う。


●平和の価値観
「平和」という言葉には実はあまりぴんとこない。
平和=争いのない世界、という図式はあまりにも短絡的すぎる。
オレは平和を目指すというよりは、暴力を減らしていきたいという方向性。
暴力の定義は、ヨハン・ガルトゥングの「構造的暴力」という概念がしっくりくる。
単純に言うと、人が持つ潜在的な成長の可能性を阻むものが暴力であるという考え。
だから、教育の機会の欠如や、社会保障制度の欠如というものも暴力として捉える。
人が持つ潜在的な成長の可能性というものがどういうものかというと、
その人が「自分の意思で」考え、行動することが出来る権利だと思う。
そのために、基礎教育、医療保障、社会保障などが重要になってくる。
ある程度基礎教育を終え、自分で勉強を継続出来るレベルに達した人間は、
自己の成長の可能性を獲得したと言えると思う。
その後、その人間がどういう価値観を手に入れて、
そういう風に生きていくかは全くもって自由である。
(自由という概念はまた色々とやっかいなので、いつか別項で述べる)
極論として、人は争ってもよい、というより、争うのが自然だ。
争うとは、コミュニケーションのひとつであると思う。
その差異を認めることだと思う。
その手段が、相手の差異、価値観を否定する方向に向いてはいけないが、
様々な価値観の間に衝突があるのは自然なことだ。
「自分が絶対ではない」「他の価値観も尊重する」ということが念頭にある限り、
そういう争いは他者の成長を妨げる「暴力」には成り難いと思う。


ふう...色々書いたがまだ半分だ...。

疲れたから以下は題だけまとめて次回に譲る。

●愛国心について
●知識の蓄積と理解、学びについて
●資源戦争、植民地政策について
●可愛い女の子は世界の宝だということについて
●日本的美について
●性の観念、売春について


最後に、
●この人生での出逢いについて
出逢いというのは誰かに仕組まれていると感じることがある。
人生の要所要所に、本当に必要な人との出逢いがある。
少しタイミングがずれていても逢えなかったし、
違う時期に出逢っていたら、これほどまでに打ち解けて話せたかわからない。
全ての出逢いが自分を形作る大切なものだ。
限り在る人生、限りあえる出逢いの中で、
真摯に語り合える友と出逢うということは人生の宝だ。
全ての瞬間を大切に。愛を傍らに。

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  1. 2010/02/18(木) 23:44:19|
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  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6
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コメント

いやあ数時間のつもりが…(笑)
ほんとありがとうございます(^ω^)
いっぱい勉強になりました!
またいろんなこと共有しましょう(^ω^)
  1. 2010/02/19(金) 13:21:25 |
  2. URL |
  3. えま #-
  4. [ 編集 ]

>えま

こちらこそ、ありがとう☆
宿題いっぱい貰った感じ。
切磋琢磨~!
  1. 2010/02/19(金) 14:04:52 |
  2. URL |
  3. K #-
  4. [ 編集 ]

すてき!
やっぱり想いを共有するって大切で幸せなことだとおもう。
  1. 2010/02/19(金) 15:58:37 |
  2. URL |
  3. りな #-
  4. [ 編集 ]

>りな

今度はニューテキサスやオレゴンや香港やマカオと繋げてスカイプしようか♪
AIU生はほんまに世界に散らばってるもんな~。
  1. 2010/02/19(金) 19:26:34 |
  2. URL |
  3. K #-
  4. [ 編集 ]

Emmaには本間にかなわん。最初にえまが持ってた本を見た題も「大日本帝国憲法の崩壊」だったし。
この間デートしたときも
逆の姉妹みたいだったかも☆
スカイプ活用の仕方、なるほど、使い方によって
めっちゃ勉強できたり、世界と繋がれますね*。


  1. 2010/02/19(金) 22:49:47 |
  2. URL |
  3. *mahaloha*(Risa) #-
  4. [ 編集 ]

>Risa

今度はりさ姉様も一緒に朝までチャットしましょうかw
ネタ尽きないからなー、えま。
  1. 2010/02/19(金) 23:35:55 |
  2. URL |
  3. K #-
  4. [ 編集 ]

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