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弟の命日 -死を考える-

今日は弟の命日だった。
家族で墓参り。

弟が死んだとき、僕は小学2年生だった。
小学校にあがる前に小児ガンで亡くなった弟。
そんな彼の墓に訪れるのも久しぶりのことだった。

僕には弟の死よりも、てんやわんやな家の中のことのほうが大変なことに思えた。
死というものを、未だきちんと理解していなかったのかもしれない。


弟の死を見つめなおすきっかけになったのは、姉の死だった。


飛び降り自殺だった。
病院の裏手で、瀕死の重傷で放置されていた。

一度意識が戻り、一瞬だけれど目があった。
その瞬間に凝縮されていた想いは、重すぎてなかなか受け入れられなかった。


死というものを、本気で考え始めた。


僕が17歳の時に姉が亡くなって以来、
家族の墓や仏壇に線香をあげたことは無かった。
(ちなみに姉はクリスチャンだった)

全く持って無意味に思えたし、
坊主が嫌いだった。

大層なことを並べたてて、人の領域にズカズカ入ってくる坊さんが
本当に嫌いだったのだ。

「灰の中のお線香の残りかすをきちんと片付けておかないと、
亡くなった方はきちんと成仏できませんよ」

目の前の坊主は本物のバカに思えた。
思いっきり首を絞めてやろうと思った。

それ以来、いわゆる"坊さん"は信用しなくなった。



姉の死から数日、某有名仏教系宗教団体がうちに来た。

「家族の不幸は信仰がないからですよ」

台所でその言葉を聞いていた僕は、渾身の力で冷蔵庫を殴り、
その男の前に出て行って「帰れ」と告げた。

本当にその信仰でその男が生き残れるかどうか、
試しにボコボコししてやろうかと思った。



悲しみのあまりに泥酔した父に殴られて、殴り返した。
親に手をあげた自分が惨めに思えて、雪の降る夜の町へ出て行った。

深夜のことだった。
しんしんと降る雪。

ところどころ街灯に照らされた雪景色が、孤独を強調する。

大きな公園へ着いた。

大の字に倒れて、空を見上げた。
漆黒の空から、延々と白い雪が降り続けていた。

このままここで眠ったら死ぬんだろうな、と思った。

結局、死ぬのはやめて家に帰った。
単純に、これ以上家族が悲しみに包まれるのは嫌だったから。


大学に入っても死について考え続けた。

自分が傷つくのが嫌で、
全てをさらけ出して素直に友人と付き合うことは出来なかった。

どこかに答えが書いてあるんじゃないかと、必死に本を読んだ。
仏陀もキリストもジョン・レノンもマルクスも、答えなんて書いて(歌って)なかった。
でも、この問いを放棄する方法ならいくらでも見つかった。

「それはまた明日考えることにして、今日は今日を楽しみましょう」
「神ってひとがいてね、そいつが言ってることをとりあえず答えにすればいいよ」
「とりあえず、きちんと金を稼ぐことのほうが大事だよ」


カラッポなまま生きていた。


どれだけ他を充実させても、そこが抜けていたらカラッポなんだ。

生きている意味を知りたかった。
だからまず、自分の生きている世界を知ろうと思った。

その後訪れた国は20数カ国。

色々な価値観に触れた。

インドでは死はすぐ傍らにあった。
ザンビアではマラリアやエイズで、簡単に人が死んでいった。
中米で見た紛争の傷跡は死の恐怖を感じさせた。


ある時、ひとはひとりで生きているのではないということが、痛烈にわかった。

愛する人がいるという奇跡に涙した。

世界は悲しみだけで出来ているわけじゃないということを、理解した。

たったひと粒の君の涙、ほんの束の間の君の笑顔が、
こんなにも生きる意味というものを与えてくれるのだと、知った。


死への恐怖が和らいだ。

死が怖かったのは、生きる意味がわからなかったからなんだね。
それをわからないままに死ぬなんて、そんなのは嫌だ!
...とアンパンマンも言っているじゃないか。


風を感じた。


風はずっと、吹いていたのだ。
その風は、ずっと僕を支えていた。

無理に逆らい、逆風の中を、それと知らずに歩いていたんだね。

その風に乗るために、もっともっと心を軽くしていこう。

このまま飛んでいける。
そうか、死とはこの風の舞い上がった先なのだ。


まだまだ重く、色々な蔦の絡まった身だけれど、
今日は素直に弟と姉のことを想えた。

君たちからもらったこの大切な宝は、ずっとずっと大切にしていくよ。


i03
祖父の眠る墓石の横に佇む弟の墓。

i02
佐藤家の家紋。国連のオリーブみたいだ。

i01
ここは"墓の墓"。誰も見舞わなくなった墓石や石像が積んである。静かな音が聞こえる。
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  1. 2010/04/04(日) 22:50:21|
  2. 人生論
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

とても考えさせられる文章です。ぼく自身も死については最近よく考えますが、まだ答えがでません。。

お姉さんと弟さんのご冥福をお祈りします。
  1. 2010/04/04(日) 23:13:26 |
  2. URL |
  3. DD #-
  4. [ 編集 ]

>DDさん

僕も何か答えを得たわけではなく、いつまでも考え続けていくことだと思います。
読んでくださりありがとうございます。
  1. 2010/04/05(月) 13:23:08 |
  2. URL |
  3. K #-
  4. [ 編集 ]

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