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K's diary, thought, and so on.

僕が人を殺している

フリージャーナリスト、常岡さんの安否が気遣われる。
アフガニスタンの現状を伝えようとする人が拘束されるというのは人事ではない。

思えば、9.11のあの日から、この不快感は続いている。

「僕が人を殺している」という不快感だ。

この定義を誰かに押し付けるつもりは全く無いが、
僕は、「為すべき何かをしないことによって」、誰かを殺している、
そんな不快感に包まれるときがある。

9.11の時は高校3年生だった。
(中卒後すぐには進学しなかったため、1年遅れの高3だが)

大学に行くつもりはなかった。

アフガニスタンに行くつもりだった。

よくわからない、この自分の命というものが
そこの誰かの代わりになるのなら悪くないな、と思っていた。

行って、状況を改善したいわけじゃなかった。

ただ、何が起こっているのか知りたかったし、
報道が言ってることは偏りすぎていた。

報復という名目で人が(しかも一般人が)殺されている。

すぐさま支持を表明する日本。
狂ってると思った。

その後に続いたイラク戦争。
世の中の正義はくそだと知った。


よく考えてみれば、戦争で人が死ぬのは当然のことだし、
人類は数千年もかけて殺戮を繰り返してきた。

中には侵略戦争も、報復戦争もあっただろう。
(アテネやスパルタの戦を思い返してみればいい)

国のイデオロギーというものに個人が埋没して、
戦に向かっていくことも珍しいことではない。

アメリカでは南北戦争でも、南北合わせて100万人の人が死んでいる。
奴隷解放のイデオロギーに乗った利権の争いだ。

先住民は近代文明人(と名乗る人々)に殺戮されてきた。


数え上げれば、きりがない。

ただ、歴史がそうであったからといって、戦争を肯定するわけにはいかない。
ただ、そこに生まれたというだけで、殺されていく人がいることを忘れてはいけない。



飢餓は史上最大のホロコーストだ。

穀物の値段は先物取引におけるメジャーの意思次第でどうにでもなる。
意図的にだぶつかせる(市場に出さない)ことによって、値段を跳ね上げることも出来る。

先進国の人間にとって、食料が収入に占める割合は多くても30%を越えないだろう。
貧困国の底辺の住民は、収入の90%を食料に費やす人もいる。

穀物が20%値上がりすれば、それは飢餓に直結するのだ。


通貨危機というものもまた、利己的な欲を追求した殺人だ。
アジア通貨危機では、特定の通貨(例えばバーツ)が単なる投機の対象になった。

資本主義というものがルールとして存在する以上、
通貨は生活に直結した要素であることは明白であるにも関わらずだ。


ランセットという医学雑誌に投稿されたレポートでは、
イラク戦争(侵略"Invasion"という語を使う新聞も多い、日本ではイラク"戦争"だが.. )による
公衆衛生の悪化によって、60万人以上の人が亡くなっているということが報告された。

全ての死は、個々の死であり、死者数を数字に置き換えることに大きな意味は無いが、
WTCの崩壊による死者は3千人程度である。

大量破壊兵器という大儀が破れ、
フセインの恐怖政治の打倒という名目に変わり、
世界最高の政治形態である民主主義の繁栄という目的に変わった。
(王政を敷くアラブの国は数多いが、それはあまり気にならないらしい)

(他にも理不尽な殺戮を知りたかったらコンゴなどに目を向けてみればいい)


どんなに言葉を変えようとも、兵器を変えようとも、
そこで行われているのは殺人だ。

そこから目を反らしてはいけない。

それを殺人と認めたうえで、なお、成就したいものがあるというのなら、
そういうものをきちんと表明しなければいけない。

そこを見て見ぬふりして、都合のいい部分だけをTVに映して喜んでいてはいけない。

国家の問題じゃない。
個人の問題だ。


これは押し付けではないし、
こういった問題の他にも、直視すべき様々な問題があることもわかる。

大切なのは、全てをなんとかしようと思うことではなくて、
(その想いは持ち続けたほうがいいと思うけれど)
自分がどう感じ、どう思い、どうしたいかだ。

オレは"たまたま"、紛争に関することが不快でたまらない。

"ふとした瞬間"に目の前の現実が溶けていきそうになる。
自分はここで何をしているんだろうって。

気持ちのいい朝のコーヒーの香りの代わりに、
血の匂いに包まれた人たちがいるということを思うと、吐き気がする。

もちろん、常にそういう状態じゃないし、
そういうことすらも忘れて何も考えていないときもある。

それでも、瞬間的に襲い掛かる不安感は拭えない。


以前はこうして無駄(に思えた)な不快感を感じる自分がひどく惨めに思えた。
今では、こういう感覚を感じれるのは自分の才能だと思うことにしている。

不安感は怒りとなって、原動力になっている。

怒りが原動力だなんて、ネガティブに思われるかもしれない。
でも、そこに怒りを感じれるのは、希望があるから。

人間という存在を、好きだからだと思う。

愛する人の生きている世界だからこそ、どうしようもなく、憎くもなるんだ。

「世界はこんなに素晴らしい!」って叫びたいんだ。


愛するひと全てが幸福に生きていけるように、
自分の出来ることを最大限にやる。


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  1. 2010/04/07(水) 01:30:54|
  2. 時事
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2
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コメント

私確かコメントしたはずだけど、もう一回書きます。と思ったけどそんな大したことないからやめます(笑)

ただただ、この文章を読んだ時に、体がぞくっとして震えた。文章にその人の強い想いがこもってて、それがずとんと来て、言葉の強さを感じた。
  1. 2010/04/09(金) 04:55:08 |
  2. URL |
  3. りな #-
  4. [ 編集 ]

>Rina

あれーコメント消えちゃったのかなあ、残念...。

言葉には責任を持たないとね。
言葉には命があるし、世界を形作っていくものだから。

だからこの言葉に恥じないように、必死に自分を磨きます☆
  1. 2010/04/09(金) 12:26:53 |
  2. URL |
  3. K #-
  4. [ 編集 ]

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